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当社酒蔵前方の店舗にて小売販売を致しております。 店頭には放浪の俳人山頭火の句碑もあり、その行乞記 (旅日記)には、たらふく飲んだ「虎之児」よろしいと記しています。 嬉野温泉へお越しの節は一度お立ち寄り下さい。 ご来訪の方は当社製造の酒を試飲され、自分好みのお酒をお選び頂けます。 お土産に最適な嬉野温泉、うれしいの~、古湯などの商品も準備しております。
九州の北部、北に玄海灘、南に有明海を望み、東に福岡県、 西は長崎県に接する佐賀県の南西部に位置する嬉野町にあります。嬉野町はお茶と温泉(日本三大美肌の湯)で有名です。
創業当時の面影をそこそこ残す酒蔵は、ひんやりと落ち着いた雰囲気である。
温泉街の真ん中に建っており湯けむり情緒とともに、町全体がこの虎之児を育ててくれてます。
加えて、二代続けての杜氏らが伝統の味を守り、地域の風土とマッチしたものに仕上げています。
泉都の酒として多くの皆様に愛飲され「湯上りの一杯もまた格別」と評判である。

明治元年 井手與四太郎は、製茶の研究や海外輸出等に専念する傍ら、嬉野川の清水を利用し酒造業を創めたとあり、 その初代は「虎はわが児を思う情けが非常に深い、その虎の児のように情けをかけ長く愛飲してもらいたい。
そして千里を走る虎のように、その名が広く響き渡るように」と名づけられた。

福岡国税局鑑評会
●優等賞 : H4年/5年/6年/7年/9年/14年/15年/19年
●金賞 : H8年/13年/16年/21年/22年/23年/26年/30年/R1年
●大賞 : R2年
全国新酒鑑評会(独立行政法人 酒類総合研究所)
●入賞 : H16年/17年/19年/20年/21年/23年/24年/26年
●金賞 : H6年/8年/9年
会社名 | 井手酒造有限会社 |
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住所 | 〒843-0301 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙806番地1 |
電話番号 | 0954-43-0001 (FAX:0954-43-0002) |
代表者 | 代表取締役 東敦子 |
創業 | 明治元年 |
会社設立 | 昭和30年8月1日 |
営業内容 | 清酒の製造、販売 |
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「虎は我が児を思う情けが非常に深い,その虎の児のように情けをかけ長く愛飲してもらいたい。そして千里を走る虎のように、その名が広く響き渡るように」との願いを込めて
「虎之児」と創業者である井手與四太郎が名付けたという。1868年明治元年 井手酒造は創業された。
與四太郎は製茶の研究や海外輸出等に専念する傍ら,嬉野川の清水を利用して酒造業を始めました。 -
二代目井手又次郎は、明治2年(1869年)に創業者與四太郎の次男として生まれ、親戚に養子に行くが、父與四太郎が明治28年(1894年)に54歳で 跡取りの兄 熊一郎が明治30年(1896年)に32歳で相次いで亡くなったために、その後実家に戻り酒造業をつぐこととなる。
又次郎30歳前のことである。
又治郎は酒造に経験が乏しかったために、幾度か失敗をし、大きな損失をこうむったが,精進怠りなく「一層家業に熱心せし為め 無事家業を持続し 現代の氏に継承せしむることを得たり」
その結果、又次郎が50歳頃の大正後期には、軍港として一挙に都市化した佐世保を大消費地に考え、販売の店を構えることとなる。
又次郎は本業の酒造のみならず、嬉野温泉株式会社の取締役社長にも就任していた。
彼は終始一貫郷土の為を思い働き 嬉野では第一の実業家であった。
昭和23年(1948年)80歳で亡くなった。 -
三代目は、與四七郎は、慶應大学卒業後、銀行に勤務したが、家業を継ぐため嬉野へ帰る。昭和10年(1935年)妻光枝と子供4人を残して36歳の若さで他界。
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その後、妻光枝は又次郎に仕え家業に勤しむ。
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昭和42年頃與四七郎の長男鐵太郎嬉野へ帰郷。家業には携わらず、妻洋子が家業に従事することとなる。
昭和47年 光枝69歳 他界するも長男鐵太郎は、銀行勤務を続け家業は妻洋子が継ぐこととなる。 -
令和2年10月1日 六代目社長 東敦子就任。現在に至る。
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2003年 創業者の願いが130年の時を経て伝わった様な出来事が起こる。それは、醸造業とは全く関係のない「JAXA」とのご縁である。
数ある日本酒リストの中から偶然「虎之児」が的川泰宣教授の目に留まり、ロケットと衛星の軌道計算(性能計算書)の表紙を飾ることとなる。
虎・・・千里往って千里還る
虎穴に入らずんば虎子を得ず・・・イトカワの資料は果敢に挑まなければ地球に持ち帰れない!
虎の子・・・大切にして手元から離さないもの
地球誕生の謎を解き明かすイトカワのサンプルはまさに虎の子と考えラベルを性能計算書に採用される。